階層管理の弊害

文書管理の続きです。

コンピュータの世界では階層構造がはびこっています。
これはUNIXのメジャーなファイルシステムに由来し、依存しているのだと思います。

階層構造を持つファイルシステムがベストなんでしょうか。

確かに、ディレクトリ単位でファイルをまとめて取り扱えば、親ディレクトリの配置を操作するだけで子ディレクトリもまとめて操作できたり、ファイルの一括した操作が再帰的に実現できたりするなど、利点も多いです。

でも、ごく普通のユーザのファイル管理を見ていると、階層構造の多くの利点は利用していないように思えます。
ただ単に、本物の紙をファイルにとじるがごとく、「文書をまとめる」意味でしかディレクトリは活用されていません。

例えば、原紙管理版数管理などは、よほど大規模で厳密な文書管理を電子化しているような会社でしか使われていないのではないでしょうか。

あるいは、厳密に管理しなければならない原紙原本となりうるデータの多くは、DB上にマスタのみが存在し、それを端末から閲覧できるようにしているだけのような気もします。
企業としては、管理されるべきものがきちんと管理されておればよいわけです。さらに言えば、その処理が滞りなく進めば、とりあえずの問題はないわけです。ですので企業のシステム管理の視点からすれば、それで全てです。

しかしながら、企業システムが管理対象としていない多量の文書が毎日吐き出されています。
そしてそれらの文書管理のために相当の労力、言い換えれば工数がかけられています。
もちろん使い捨ての文書も多く含まれるでしょうが、私はそういう個人的に吐き出す文書にこそ、明日へつながるヒントが満載されているのではないか、と常々考えています。
それは例えば、良い報告書の書き方のノウハウであったり、おさえるべきところを押さえた見積書だったりするわけです。

そういう文書の作成を個人の努力に任せて企業活動に全くフィードバックしないのは良いことなんでしょうか。
あるいは、そういう文書が生み出す価値を認めないのでしょうか。認めるならばなぜ、企業はもっとそれらをサポートしようとしないのでしょうか。

最近はナレッジベースなど、従来の企業活動(経理や労務)を超えた範囲を取り扱うものもあります。
しかしどれも階層構造で管理しようとします。
結果としてIT技術によって、階層型管理による弊害、すなわち縦割りの弊害がもろに強化されてしまいます。
いわゆる変化を嫌う集団にはうってつけです。

この話はまた続きを書こうと思います。  →つづき:もやもや解消