文句を言う前に100%達成する必要は無い

正月に数年振りに知人にあったときに出た話です。

属している会社組織のグチを言う相手に,私が

「技術者は製品のデバッグばかりしている。デバッグの技術は高いはずだ。ならば自分の属する組織についてもデバッグして改良していけば良い。」

と言いました。相手は,

『自分が自分の職務を100%近く遂行できていない以上,文句を言える立場にあるかどうかはっきりしない。』

というようなことを言っていました。

私はその場では,

「そんなことは関係ない。意見があれば意見を言わなければならない。意見や文句の内容に100%の責任を持つ必要も無い。何か提案して実行された改良が結果として改悪であっても構わない。再度改善するだけのこと。」

とかいうようなことを言っておきました。他にも

「100%遂行といっても,字が汚い,声が小さい,目つきが悪いから客先の第一印象が悪い,舌足らずでカツゼツが悪い・・・キリが無い。何をもって100%か曖昧なのだ。」

これは真面目な人達がハマル落とし穴だと思うのです。
そもそも組織に問題があれば,100%の仕事はできませんね。手が遅いから与えられた時間内にできない。できないからサービス残業をする。考えて見てください。手が遅い,頭の回転が悪い,記憶力が弱い,誰だってイビツな能力をチグハグに備えているのです。

そもそも組織とはイビツな人たちを集めて,うまい具合に組み合わせて可能な限りパフォーマンスを出すためにあるのです。自分の手が遅いと信じ込まされてサービス残業するならば,自営業のおっさんと同じじゃないですか。確かに”さらりまん”なる立場だからリスクが低減されています。それの代償だと言う人もいます。

はっきり言っておきます。

組織に問題があると考えているにも関わらず,それを放置し,”俺に能力が不足しているからだ”とか言っていることは,これは明らかな背任行為です。

自分が考えている問題は的外れかもしれません。その可能性はあります。しかしながら,せっかく組織に属しているのですから,他の人が指摘する問題をガサガサっと集めて,ガラガラポンすれば,少しはマシなものになるでしょう。それが無理だと言うのなら,何もしなくてもよろしい。扇子職人のように絶滅してしまえばよろしい。一般に伝統工芸の職人ですら日々改善に取り組んでいます。もっと良いものを作る。もっと早くつくる。それができるには,人がたくさん必要です。ほんの数人しか生き残れなかった伝統は途絶えます。それはなぜか。

問題があればそれを指摘する。改善策を講じる。効果を確かめる。再度改善する。全てそれの繰り返しです。改善の可能性を否定してしまったら組織は終わりです。可視化や数値化はそのための単なる道具です。

新社会人に言っているのではありません。同じ所で10年も働いていれば,自分自身が組織の問題の一部にすらなっています。若い人のホンネを聞いてみれば分かるでしょう。まずそこから初めて,徐々にもっと大きな問題について取り組んでいくべきだと思うのです。