進歩はいらない,進化が必要。

エンゲルバートとかいうじいさんの戯言です。

・・・オブジェクトは異なるビュー(視点)を持つことができ、コンピュータは、あるビューを指定するとパラグラフ内のその部分だけを表示したり、特定のセンテンスについてだけを表示します。たとえば、1行目だけを表示するように指示すれば、それはトピックセンテンス(段落の内容を表わした1文)だけのビューとなります。これがアウトラインですね。こうして文章の階層構造が視覚化できるのです。・・・
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0322/engelbart.htm

あなたもジジィなら,ザナドゥシステムを思い出すかもしれません。MEMEXですかそうですか。

Googleキャッシュを見れば分かるように,風前の塵に等しいWWWサーバに格納されたテキストは,ウタカタのハイパーテキストに過ぎません。

つまりそれでは石版や羊の皮に書かれた書物を越えることすらできないのです。

しかし集中サーバではFreedomが無い。20世紀終盤に地獄の底から湧き出したベストエフォートのパラダイムと相容れないのです。

20年前の雑誌切抜きのように,WWWサーバ上のデータを未来に残すにはどうすればよいのでしょうか。印刷しておきますか?コピーをHDDに残しておきますか。コピーしたものの真贋は?

あるいは原本を厳重に維持していけばよいのですな。国会図書館のように。

文献情報や書誌をいくら集中管理したって,ポインタ先の書物がなくなっちゃえばどうにもなりません。そんなことは2000年くらい前から分かっていたことです。写本や写経の専門家にインタビューして当たってみますか?

しかしそれでも,全ての写本が後世に残るわけではありません。多数の写本を残すことに成功したもののみが,進化論よろしく生き残っていくわけです。

なるほどそこまで考えていけば,Winnyのように,参加ネットワーク内に「見えない形で」キャッシュを残し続けるというのが,ひとつのソリューションであると改めて納得することができます。できればキャッシュを勝手に削除しないでいてほしいものですな。ついでに言えば,URLのようにウタカタのものでなく,ユニークキーの値でデータを表すところは正に21世紀的であると言えましょう。サヨナラ階層構造。

Winnyが持ち上げられていた頃には同様の議論も盛んになされていたと思いますが,すっかり白けてしまっているようですのでここで指摘しておきます。

現状を素直に観察すれば,好き勝手に現れては消えるWWWサーバとURLをせっせとキャッシュし続ける連中を合わせて抱き合わせで考えれば,それほど悪くない世界ではあると思います。

しかしそれでは数年のスパンしか見えないです。10年のスパンでは書物しか残らず,100年ではパンクズしか残っていないでしょう。そしてまたパンクズを辿って覚束無い足取りで歩みを進めるしかなくなるのです。

(2008.03.31追記)

“複製され続けるものは、進化する”。これを生命の定義とすれば、我々の身のまわりで、新しいタイプの生命現象が次々と誕生しているのに気づかされる。

理研の「ゲノム設計学」の実現に向けてより引用