データとプログラムは切り離せない

昨日すぐに続きを書いたのに,ココログのボケが・・・

あ・さて~(小林完吾

データとプログラムのハネムーン関係はあえて指摘するまでもなく皆さんご存知のことです。例えば一太郎でWordのファイルは開けませんね。え?開ける?ウソウソまじでぇ~。

WordでExcelのブックは開けませんね。

バイナリファイルをXMLにしたって,データの意味は相変わらず不明です。全宇宙共通XML(XMLギャラクティカ?)つったって,だめじゃん。スキーマコンパイラがあればOK?Reader/Writerだけでしょ,自動生成できるのは。

データの意味というのはコトバの意味と同じで,根本的には書いた人にしか分かりません。落し物の手帳に「パルナスに気をつけろ!」と書いてあっても知らん人にとっては情報量ゼロです。

わかるかなぁ。石版に神さんの声を載せたって,意味の解釈でエライ後になってからもっすご揉めますやろ?せやのぉて,ちっさい神さんの生き写しを作って,(神さんやったらそれくらいチョチョイのチョイやろ?)それを持ち運んだらええんですわ。

というわけでデータとプログラムはセットで。プログラム自体は現在世にあるそれよりも抽象化レベルを上げたものが望ましいです。

そうしたら,データとプログラムのセット,つまりオブジェクトの永続化なんていうダサイ20世紀臭がプンプンする問題に悩まされなくて済むわけです。

私が書いていること,頭オカシイですか?