V字モデルにうっすらと悪意を感じる

これをモデルと呼ぶのもどうかと思う。

 

 

これをモデルと呼んでしまっているために、

 

   

ウォーターフォール

   

スパイラル

 

とV字モデルを同列に扱う阿呆が多数沸いてうざいです。

 

 

 

20120705174141

 

上図をまともな脳みそで眺めれば、

 

   

テストや検証工程では

   

プログラミングミスや

   

間抜けなPGの仕様無理解

   

ばかりにフォーカスが当たり勝ちだが、

   

本来は上流工程の手抜きのほうが

   

リスクとしては大きいので

   

そっちのほうが叩かれるべき

 

という主張を感じることができるはずです。

 

 

 

細長い図を折りたたんでいるだけなのです。本来は。

 

しかしながら、「コーディング」に着目すると、

 

   

コーダーは設計もしないし、

   

テストにも関与しない

   

ただの単純労働者(キーパンチャ)

 

つまり、

 

   

底辺のなかの底辺

 

という隠喩が感じられるのです。

 

配置も「最下層」ですしね。

 

もちろんごみため的ヒガイモーソーなわけですが。

 

 

 

最終段階インプリメンテーション的に考えていくと、いわゆるPG工程は単純作業に落ちぶれます。

 

PGが勝手に設計したり仕様変更したらまずいですからね。

 

それにしてもプログラムがかけない、あるいは書いたことがないSEが、複雑な設計ができるもんですかね。

 

しかしながら、それが分業というものです。

 

 

 

ごみためとしては

 

   

楽器がうまく弾けない調律師は信用できないが、

   

プログラムをかけないSEやアーキテクトは信用するしかないというのか

 

ということで煙に巻いておきます。

 

 

 

俺様的解釈としては、

 

   

自在にプログラミングをできない人たちに

   

なんら最終製品として形にのこらない

   

“設計作業”をシェアしてあげるための仕組み、

   

それがSEでありアーキテクト

   

かれらは文書は書けるが、

   

“動く”プログラムを書くことはできない