単発シリーズ・ちゅ~とはんぱ~やなぁ:ドグラマグラを3分の1読んだ感想

DNAが遺伝子であることは前世紀中ごろまでわからなかった。

  

 

メンデル(エグザイルの面白キャラはメンディ)の遺伝子の発見は1900年までほこりをかぶっていたようです(出典:Wikipedia(笑))。

  

ドグラマグラは1935年ごろに発行されたようですが、その10年くらい前だと、DNAは発見されたけど、まだそれと遺伝子をむすびつける説が固まっていないころと思われます。

  

# 遺伝子とDNAは同じジャンとかいってる人は中学からやり直し

  

  

大脳がただのアナログ計算機であること、いまや異論を唱える人はわずかだと思いますが、当時それを電話交換局に喩えるのはなかなかおしいアレだと思われました。

  

 

  

ごみためまんはちょっと心配なのですが、いまだにココロや精神などのフワっとしたモノの存在を信じている人が実は世の中にたくさんいるのではないかということです。

  

ゴーストと呼んでもよいかもしれませんが。

  

ただし、インゲンの大脳の性質として、

  

   

見たいものを見、

    

聞きたいものを聞く

  

というものがありますので、そこにココロや精神があると思えば、あるように思えてくるわけなんですが。

  

# 「悪魔の存在を信じることは罪なのでしょうか」

  

メンヘルのためのメルヘンとしてスピリチュアルを信じるのはかまわないと思いますが、いわゆる科学的な社会人として信じている場合は、ちょっとビョーインへ行ったほうがよい気がします。

  

***

  

さて、DNAと同様に、大脳が計算機であることも、当時はわかっていなかったため、大脳の位置づけが残念なものになっているようです。

  

 

  

結局仕組みのわからないことを「神秘」に格上げしてお茶を濁しているだけのようにみえます。

  

で、その辺のエセ科学的な部分はそもそもこの本の主題ではないようです。

  

3分の1まで読んだ感じでは以下の(体制)批判を、物語でオブラートに包んでしつこく執拗に繰り返して書いているだけのように思われました。

  

# 体制批判を物語で表現するのはガリバー旅行記的な?

  

解放治療のくだりです。

  

   

精神病患者が食い物にされている

    

精神病が差別の対象になっている

    

精神医学会がペテンの集まり

  

# どれも2014年でも未解決のような

  

 

  

ごく最近ですが、報道特集にて精神病院で40年くらい入院していた人が震災で病院が壊滅したのをきっかけに退院したというルポを観ました。

  

# たいして重症でもないのに退院させてなかった

  

その後ドグラマグラを3分の1読んだわけですが、ニポーンの精神医学界隈はこの100年で1歩も前に進んでいない気がしてきてクラクラ眩暈がしました。

  

#他の先進国でもどうようのようですが

  

それと1920年代お米の国の実話を基にした後味の悪~い映画(アンジョリーナジェリーチェンジリング)を思い出しました。

  

  

この映画と同じことを、ほかの国と同様に、ニポーンの警察も長年やってるのでしょう。

  

組織の自己防衛手段というのは昔から大して変化がないのです。

  

1920年代は近代が現代化するにあたって、旧来の無茶苦茶にうんざりしているクウキが漂っていたのかもしれません。

  

 

  

胎児の夢に戻りますが、すべての生命は共通の夢を共有していて先祖代々引き継いでいるというような考え方は古インドですでにまとめられているようです。検索ワードとしてウパニシャドを使う件ですかね。ビミョーに違う気がしますが。

  

例のシュレディンガーの本にも出てきたような出てこなかったような。

  

  内容は覚えてないよ~

  

ただ、ごみためまんが気になることがあります。確かにわれわれ生命はみな先祖をたどれば共通の祖先にたどりつく”はず”ですが、過去の生命の歴史すべてを共有するという考え方は以下の点で無理があるように思われます。

  

・われわれは生き残り側の子孫なので、絶滅した種の記憶は失われている”はず”

  

# 絶滅した種の記憶は無いので、われわれは絶滅を避けられないかもしれません。

  

# 隣で絶滅するのを眺めた記憶はあるかもしれませんが。

 

さらに、

子孫を残すたびに記憶の分岐が発生するはずなので、個体の晩年の記憶は継承されない

# 細胞レベルで種の記憶が保存されているという考え方はなかなか多面的です

 

上記と同様に、

      

祖先の記憶をトラバースする際、

    

スタート地点(自分)は記憶ツリーの深い深い葉の先っちょで、

    

根に向かってトラバースできるのは常識でわかるが

    

途中で別の葉に潜っていくのはアルゴリズムとしてどうよ

    

(DAGじゃなくてツリーだよな?)

  

という指摘も軽やかにしておきます。

  

つまりごみためまんが、比較的近い共通の祖先を持つ、あなたの記憶を記憶ツリーでたどれるのは仕様としておかしくね?という指摘です。

  

# そんなことができるんだったらトラバースいらね、ランダムアクセスすりゃいいじゃんwww

  

# 胎児の夢の場合は、rootからツリーを構築する感じ?ツリーがないのにツリーを構築するのは無理あるね~

  

***< /p>  

より自然なのは、ごみためまんの記憶ツリーはあなたとの共通の祖先の記憶リビジョンをベースにしたブランチAで、あなたの記憶は別のブランチBなんだから、単純にDiffは取れないでしょ、ってことです。

  

ごみためまんとあなたが共通の親の子、つまり兄弟姉妹であれば、記憶のDiffは比較的容易に取れるかもしれません。

  

しかしハトコのマタイトコの娘婿の甥、というような遠い遠い親戚関係では、記憶ツリーのブランチは大抵ブランチのブランチで、途中でブランチ間マージも発生しているかもしれません。

  

それぞれがそのような事情ですので、お互いの記憶リビジョンの単純Diffを取っても、意味のある差分は得られないはずです。つまり、

  

   

記憶があっても意味がわからない

    

解釈不能

    

差分の根拠がわからない

  

ということではないでしょうか。しかしながら、ブランチの経緯、つまりただしい家系図がわかれば、リベース繰り返しなどの小手先の術でなんとかなるかもしれません。あるいはGitやMercurialのように、共通の祖先を意識した自動記憶マージが可能かもしれません。

  

共通の夢ブランチのマージというのは、普通に交配で発生するはずです。これがなければ生命の木に模した共通の夢ツリーは文字通りツリーになるはずなんですが。

 

もうひとつ指摘するとすれば、ここでいう記憶は、種によって宿主が異なるわけです。インゲンの記憶がそのまま三葉虫に適用できるとは思えません。

間抜けな比喩で表現するとしたら、プラットフォームがぜんぜん異なるのに、  同じソースツリーだといって比較するようなものです。意味がありません。

# しかし記憶の器であるカラダの設計図は遺伝子に含まれるという厄介なトリックが

 

“生命共通の記憶”を現代のインゲンが考えるメモリーではなく、遺伝子も含めた種の記憶と考えると、この再帰的な問題はなかなか興味深いです。

# 思い付きを書き足すととんでもなく飛躍する例のような文章

  

というようにドグラマグラを人類共通の夢・構成管理の視点でとらえると若干の興味深い示唆が感じられなくも無いような気がしています。気がするだけですいつものことですが。

  

 

  

個人的には差分生成やバイナリ差分というのは、多元な宇宙を構成する際の圧縮効率の問題にも直結していると思いますので、もっとけんきうを加速していただきたいと思っております。

  

IT成金のみなさん投資をおねがいしますよ~♪

  

 

  

最後にどうでもいいですが、海外(これはおそらく実際には国内の話だと思われますが、体制批判を避ける理由があったのか知らん)の精神病患者がひどい扱いを受けているという念仏のくだりは、熊楠の人柱の本を想起させました。

  

  マジどうでもいい

  

 

  

残り3分の2はいつ読むかわかりませんが、読んだら続きを書くかもしれません。