NEC関本会長

IPSJの会報に、会長の話が書いてありました。

かつての少年ごみためまんにとって、NECのPC-98/88シリーズは倒すべき敵のひとつであり、越えるべき山だと勝手に妄想していた相手だったわけです。

まぁかび臭い思い出話はよしましょう。

 

日本には、日本語MS-DOSがあって良かった。日本語Windows95が移植されて良かった。シフトJISがあって良かった。それは松本清張みたいな会長が居たおかげと全く関係ないかもしれませんが、まぁいいじゃないですか。

DOS/Vを担いでいた方々は、きっと否定するでしょうが、日本独自があったからこそ、標準化後にもなんとかなった側面があるでしょう?

 

少年ごみためまんはミンコンやオフコンのことは知りませんでしたが、青年ごみためまんは、日本語MS-DOSのマシンで組み込みソフトウェアの保守をし、仕事を覚えました。

また、あちこちの工場で、ほこりまみれ油まみれの組み込みコントローラとして稼動するPC-98を目撃しました。MS-CやTurboC++がインストールしてあって、ソースも入ってるんです。誰でも保守ができました。

 

それももう昔話です。時代が変わるというのは、自分の知っている人が居なくなるということなのかもしれません。そうして自分の知っている人を知らないという人が増えることなのかもしれません。

 

ちょっとおセンチなごみため代、ぅふ。