知性なんか最初からない

人間に知性なんかありませんよ。

人間にある知性は、砂糖の粒をせっせと巣に運ぶ蟻と同程度です。

 

なので近年の脳研究の結果、人間の脳に自由意志(free will)の実体が存在しないらしいとコンセンサスが得られるようになったことにも驚きませんでした。

私の理解では、人間の脳は入力に対してある内部状態を最適化するための出力をおこなう化学式制御器でしかないということです。

もちろんフィードバックだけではなく、フィードフォワードもおこないます。小脳サブシステムは外界をモデリングする物理モデリングコプロセッサです。海馬はI2C接続の遅い磁気テープリールです。

 

ヒラリーマン同士の会話を見てください。そこには論理的展開も、演繹も推論もありません。経験したことに対する感想を並べるだけ。つまり大脳のログを交換し合っているだけなのです。

(2009.01.05追記)

似たようなことが書いてあるらしい本を見かけました。ほんとうに似たようなことが書いてあるかどうかは読んでみてください。

<アマゾンのリンクの残骸>
検索バカ (朝日新書)

posted with amazlet at 09.01.05
藤原 智美
朝日新聞出版
売り上げランキング: 13640

(追記終わり)

蓄積されたログ情報は大脳システムに影響を及ぼし、その後の決定に影響を与えます。

 

インテリ同士の知識のひけらかし会話を見てください。そこには論理的展開も演繹も推論もありますが、それはあらかじめ用意されたものです。すでにまとめた話を垂れ流しているだけなのです。

議論は一人の大脳で完結しており、相手は聞き手として存在しています。

 

動かないシステムをデバッグしている新人を指導しているベテランを見てください。新人はベテランの手となり耳となり、ベテランの外界接続インタフェースを拡張しているだけなのです。

鉄の箱から有機物の蛾を取り除いたとき、頭の中をダンプトラックが走り抜けたような感触が新人に残されるのです。

 

ここに挙げたものより知的な会話を経験したという人は幸福です。しかしその経験をほかの誰かとシェアすることは決して出来ないでしょう。

 

ここに挙げたものに分類できるものを、知的なものだと勘違いしている人が多くいるのではないでしょうか。

 

さて、ただの機械だと分かった脳なら、別の機械で置き換え可能だということです。問題は、コンピュータのメモリに相当する部分の大部分が、制御回路に癒着してしまっていることです。

 

シンプルに置き換え可能にするためには2段階移行がよさそうです。まず脳に外部記憶装置との細いインタフェースを設けます。このインタフェース経由で内部状態の更新通知が行われる仕組みを脳側に用意します。仕組みを用意させるのは訓練でどうになかります。つまり古典的学習です。脳の動きをエミュレートするシステムにこの外部記憶を接続し、元システムと同じ振る舞いをするくらいまで吸い出せればOKです。あとは、この外部記憶を用いるシンプルな新システムを作りこめば良いのです。

現行大脳と外部記憶装置との間は細いインタフェースでよいと決め付けましたが、それは希望的観測です。そうでないとこの手法のメリットはどこにもありません。

現行大脳は、化学的に敏感すぎるために、物理的接続に大きな制約があるのです。鉄のカンシでさわっただけで幻覚を見、銅配線で壊疽がはじまるほどなのです。すでに用意された方法で情報を取り出すことは簡単ですが、24時間中ダウンタイムは平均8時間程度必要です。

外部記憶装置にすべての情報を取り出すことが出来ないのも仕方がありません。現行脳の設計の失敗を解消したいのなら、捨てるべきは捨てるしかないからです。

 

寿命が尽きた脳からそうやって情報を取り出して、新しい脳に移行できたとしても、意識は別のものになるでしょう。新たに目覚めた意識は、前の記憶を覚えているかもしれませんが、前の意識はそこで終わっているのです。分かりやすくいえば、本人は死ぬが、本人と同じ記憶を共有する別人が新たに生まれる感じです。