あてずっぽうが、それほど的外れではなかったようです。
買われるフィッツにとってはただの見せ金だったわけです。金融工学の博士がバリバリと実装仕様を書き下せる米国とは違って、日本では複利計算ができない銀行員が融資係りをこなせる社会なのです。一方プログラマは日本語が読めません。
そんな国でVDMが金融システムになんの貢献が出来るでしょうか。
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ファイナンス理論を教えない日本の銀行
日本の銀行は簡単な財務諸表の見方しか習いませんでした。理論よりも、まず“人を見ろ”と教えられるのです。ただ、どの社長も話すとすごい人のように見える(笑)。感情論に振り回され、理論に弱いのは、日本人全体に共通して言える特徴のように思います。
教えてるベテランも、先輩行員から「人を見ろ」と言われたのを繰り返しているだけなのでしょう。
なにしろ、超拡大基調の経済状況では頭数だけそろえるのがやっとだったわけです。
で、頭数の一部には、金融理論で指示しても無駄な人が混ざっているので、
お前は「人柄を観て融資しろ」
といって、リスクの低い仕事を任せたのかもしれません。
冷静に考えてほしいのですが、そろえるだけのための頭数でスタートしたものの、人数割合では多数派になりますので、それから30年くらい経過すると、
人柄を見て融資する
というのが、デフォルトになってしまうのです。
思い出してほしいのは、高度なファイナンス理論を駆使して融資するのが正しいのか、単に人柄で融資するのが正しいのか、実は誰にもわからないという事実です。
ただし、おそらく統計は出ているはずで、その結果に基づいて融資の方法論(中小企業のシャチョさんの人柄で融資w)が確立されたと考えるべきなのかもしれません。
まともな金融理論を学んだ人なら、そんな阿呆な仕事は馬鹿らしくてやってられないかもしれませんが、
ここは黙って言うことを聞いて
やったふりだけしておくのが得策そうだ
と考えるのが組織人ですね。