試される善意

今回は夜のスーパーでやや高度な事例が発生しました。

side-A:

夜のスーパーで翌日の朝食を買うため、混んだレジに並んでいると、サラリーマン風の男の背後でドスンと音がした。

男が振り返ると、老婦人が大して重そうでもないレジかごを床に乱暴に置いたようだった。

重くて持っていられないということらしい。

振り返った男を恨めしそうに見上げ、レジかごと男に交互に視線を移す。

「かごをレジ台に持ち上げろ。」ということか。

男は悲しそうに首を振り、黙ってレジ台の方へ向きなおった。

老婦人は、小さくうめいてから、レジかごを持ち上げ、レジ台にドスンと置いた。やはりかごの中に大して重そうなものはない。

side-B:

新しいジャケットを買った後の最大の楽しみは、ヒトの善意を試すことだ。

ジャケットのすその仕付け糸をつけたまま出かけ、小さな親切でカルマを稼ごうとする善人を探すのに使うことができる。

今夜もスーパーのレジで並びながらジャケットをふりふり善人の目の前に釣り餌をぶら下げていた。

ドスンと音がしたので振り返った。

「お、やっと善人が現れたか。」

しかし老婦人は仕付け糸には気付いていないようで、私に善行を強制させたかったようだ。

しかしその手には乗らない。強制された善意ではカルマは稼げないからだ。

この仕付け糸のように、自然なものでなければ、免除されるカルマは微々たるものだ。

おせっかい扱いされて増えてしまうカルマのリスクを考えれば、まったく割に合わない。