かなり前に、中国語の氾濫を憂いてフランツ少年の言葉を借りたことがあります。
ハトも、ドイツ語を話すようになるのかしら・・・フランツ少年
ドイツとフランスに翻弄されつづけたアルザスロレーヌ地方について、いまはガッコウで教えないのでしょうか?
(ニポーンも、先の大戦後に公用語に英語が加えられるか、英語が使えないと仕事にならないような国になる可能性があったわけですが。)
ごみためは国語の授業の「最後の授業」で習った気がします。
あれは、被占領傀儡国家(occupied Japan)の悲哀を、左か右に偏った教師連中が婉曲的に刷り込みたかっただけなのかもしれません。
こんなことを書いているのは、Twitter→X、ツイート→ポスト、という「読み替え」が進行中であり、それを指して「占領されたらこんな感じ?」というポストを見かけたからです。
『あぁ、いまどきのシトは、「最後の授業」のような前提知識なしで生きているんだな』、と。
それならすわ有事に戦争反対派は多数派にならないかもしれない、という心配がわいてきました。
確かミドリムシネクタイ社長が、「2025年にはデジタルネイティブが過半数になる」とかわめいていましたね。
ごみためは歴史に拘泥することは好きではありませんが、フランツ少年の気持ちを考えたこともない人が過半数になるというのは、空恐ろしいことのように感じます。