何度か書いていますが、ごみためは、学生時代にコンビニでバイトしていました。
深夜枠です。22時~翌朝8時上がりとかそんなシフトです。
阪神淡路大震災の発災当日、ちょうどバイトに入っていました。
2時ごろにセンター便のトラックが来て品出しするときだけ応援のバイトが来ます。3時以降は、いまでいうワンオペ体制です。
お客さんもほとんど来ない時間帯で、一番眠い時間です。
その日も朝刊の配達が来ました。それからほぼ毎日朝刊を買いに来るお客さんが来て、そこでグラっと来ました。
大阪市内でも北の方だったのでかなり揺れました。缶詰やパンが少し棚から落ちて、新聞の棚がバターンと倒れました。そしてすぐ停電しました。
停電が解消する前にオーナー店長が来ました。鍵でレジを開放し、レジなしで商品を売りました。代金は電卓で計算、おつりは適当です。こういうとき、おつり用の硬貨の在庫というのは、現金よりも大切です。
電池がすぐに売り切れました。コンビニ周辺の停電は30分程度で解消しました。
総菜やパン、カップ麺などが売れました。
朝、いつもどおり交代のパートさんが出勤してきましたので、私は少し残業してから帰途につきました。その前に実家に電話が通じて、連絡が付いたのは幸いでした。
自宅から近くない店舗だったので、主に自転車で通っていましたが、その日はたまたま電車でバイト先へ行ったので、帰りは徒歩で帰りました。
安全確認だかなんだかで、電車が止まっていました。
とぼとぼと実家まで歩いて帰りました。異常な静けさが不気味でした。徹夜明けで2時間近い徒歩はかなり足に来ました。
実家に帰ってからテレビを見ていて、駅やビルの1階や2階がぺしゃんこになっている映像がけっこうあって、ゾッとしました。
私がシフトで入っていたコンビニは、まさにマンションの1階の店舗だったからです。
今でも、地震で1階部分がつぶれた映像を見ると、ゾッとします。
余禄:
3日後くらいに次のシフトに入ったときは、朝になると全身埃まみれの人たちが車やバイクや自転車で買い出しに来て、コンビニはかなり混乱していました。
どこにいっても品物がなかったのでかなり遠方から来る人もいたようです。
オーナー店長は独自ルートで水のペットボトルやパン、サトウのごはん的なものを仕入れてきて売っていました。たぶん利益はあまりなかったと思います。仕入れが高騰していたので。
そもそもセンター便が大混乱していました。
震源地から数十km離れたコンビニがそうなるくらいの災害でした。
遠方から買い出しに来ていたある人は自分の店を失ってどうしようもないけど命だけでも助かったからこれからもなんとかやっていく、と独り言のように話していました。
命だけ助かってもどうしようもない状況、というのもあるのだろうと想像もしますが、それでも助かった命は大切にしてほしいものです。
震災は忘れたころにやってくるらしいので、みなさんもお気を付けくださいませ。