通りすがりに読んだ記事のエディタの歴史の説明の中で、ラインエディタedが出てきました。
edからviの流れに異論はないのですが、なぜedのような操作体系になるかの説明が抜けている気がしました。紙面の制限で削ったのかもしれませんが。
ただし、スクリーン+キーボードを前提にしか考えない読者に対してはedがなぜedだったのかを説明する価値は大いにあると思います。
とはいっても既存の解説はネットにあふれているので、それを参照して終わりです。
窓辺の小石(160) 特捜隊ADM-3A | マイナビニュース
・・・1970年台、多くの大学や研究機関などでは、通信用に作られたTeltype社のModel 33のような端末装置を使っていた。このため、エディタのようなソフトウェアを作る必要がなかったのである。この時期、Unixで使われていたのは、edやTECOなどと呼ばれる、コマンドで操作するラインエディタだ。プリンタに出力するため、応答などはできる限り短いものがよいとされた。・・・
贅沢なVDTを使える機関ではedなんか要らなかったでしょう。
ラインプリンタで紙を湯水のように使える人はいないので、プログラマーは頭の中でコードを書いてから、エディタに向かうのが当然だったでしょう。
書いては消し、書いては消し、するだけでお金がかかるわけです。(紙だけでなくタイムシェアリングでも課金される)
※今もたいして変わりませんね。LLMで課金されて、コードを書き直している。
という話をごみためは当事者から直接聞いて知っていますが、それでもPDPに偏った話が多いです。どういうわけかUNIXの話はHP-UXの話ばかりです。
とにかくまぁ、ed→vi/emacsというのは正史でもなんでもないという話です。当時のプログラマー人口の比率を考えればIBMやDECで仕事をする人の方が多かったはずなので。
傍流が生き残ったからといって正統を名乗るのはちょっと違うかな、という気がします。
※edがよそ(UNIXの外)からきたのかどうか調べずに書いています