戦前のかびくさいスローガンですな=日本主義
資本主義でも、社会主義でもない、ニホンシュギ経済ですよ。
日本の製造業の生産性は、かつて世界がうらやむほど高かったそうです。
いまはKaizenやlean manufacturingが世界に浸透してしまったため、ちょっとした先行投資をすれば似たような生産性を上げることができます。
つまりたいしたアドバンテージは残っていないということです。
なので、阿呆が考えても分かる、
賃金が安い国に引越して
セコク儲ける
という選択しか残っていないという情けない実情です。
たとえば世界が付いて来られないくらい高い生産性を発揮できれば、国内の製造業の空洞化なんて杞憂なのです。
かつて未来を生きていた日本の生産性の源泉はどこにあったのでしょうか。
コストダウン=人減らしのために次から次へと設備投資をするだけだと
機械と人間の仕事の取り合い
のように見えます。よくあるロボットものSFのテーマですよね。
しかし技術の先端近くを応用する機械や設備は、次から次へと新しいものが出てきます。
旧い設備を破棄して、新しい設備を導入したら、より生産性があがるというわけです。
生産性があがって儲けが増える分と設備を更新するのにかかるコストを天秤にかけてるわけですね。
新しい設備を作る会社のコストの目標は明確です。
生産性の向上によって得られる利益と
償却期間
から計算できます。競争相手がいる場合は、もう少し大変ですが。
設備や機械を作る業界も、設備のユーザ企業と同じように、永久に続くコストダウン地獄で生きているというわけです。
そこでは分業化が進み調達も真剣勝負です。
ですが、
高生産性設備=準無人化設備
を使うユーザ企業と
高生産性設備をつくる
企業を比べれば、後者の方が人手がかかるのは理解していただけると思います。
自動車が1台あれば
人力車10台分くらいの仕事ができる
自動車1台を作るには、100人日くらいの手がかかる
つまりそういうことです。
高い生産性を実現する設備を作るには多くの人手が必要なのです。
日本主義社会の特徴として、
設備や機械がニンゲンから奪った雇用を
設備や機械を作る現場がカバー
できていたのではないかと妄想するわけです。
この階層構造は2段だけではありません。
高い生産性の設備を作るための設備もまた、専門の企業が存在します。
たとえば油圧機器メーカや、電気機器メーカが使うような設備です。
末端には汎用設備機器メーカも存在するわけです。
そういう経済を考えた場合、
綿製品を大量に作ったら
それを売るための殖民市場が必要だ
という間抜けな議論とは違う風景が見えてくる気がします。
**
どうでもいいことですが、
2011.11.11 11:11
のエントリです。
目次: