善人の研究

善の研究は難しいですが、善人の研究なら誰にでも出来ます。

平常心というコトバをご存知の方ならお分かりでしょうが、平時に善人ぶることは誰にでもできるのです。

昼休みのランチ帰りに横断歩道でお婆さんが右往左往しているのを見かけたら、そりゃ誰だって手を貸すでしょう。

しかし、大事な客先との打ち合わせの待ち合わせに15分遅刻していて、駅からダッシュしている途中でお婆さんを見かけたら、見てみぬ振りをする確率がダブルアップでしょう。

さらに、これが深夜の繁華街で、コワモテの連中5人にボコボコにタコ殴りにされているサラリーマンだったら、見てみぬ振りをできないひとは長生きできないとあなたにもわかるはずです。

いや、見てみぬ振りをしてもちょっとケータイで110番すればいいだけのことです。『ほかの誰かが110番するさ』

あえて極端なことを書きました。

自分に人を助ける余裕があるときだけ善人ぶるのは自己満足のためだそうです。

単純なはなし、100人のうち80人が余裕の無い状態、つまり平成20年の日本のような状況では、だれも善行をおこなわないということになります。

みんなココロの底では理解しているはずです。「自分が出来ることだけをやればよい」というのは、罪悪感を小さくするための方便なのだそうです。

このように、善人のための道を示し、動機付けるために、この小さな罪悪感をツンツンする手法は良く使われます。「あなた方は未熟なのです」からはじまる説教の類です。

その次に植えつけるのは、未熟者に対する寛容です。ようするに道を歩き始めた(選ばれた)あなた方は、他の未熟者を見下したり蔑んだりしてはいけません、というわけです。

やり口は気に入りませんが、このフェーズ2すら知らずに善人ぶってる間抜けな人は多いです。例えばこのエントリがそうです。

善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)
西田 幾多郎 小坂 国継
講談社 (2006/09/08)
売り上げランキング: 18583