もちろん習いましたよ。
あたかも自分の経験がデフォルトかのように述べるこの人はいったいなんのつもりなんでしょうか。
OJTや研修でフツウに習うと思いますけど。
個人的には昔インターフェースという雑誌の連載で仕様書の読み方書き方がありました。あれは大変ためになりました。
はっきりいって、読み方を先に身につけるべきです。読めないのに書けるわけが無いので。ロクに分厚いデータシートすら読んだことも無いのに、仕様書の書き方云々言っても仕方が無いはずです。
さて。
仕様書の書き方って,習いました? – 日経エレクトロニクス – Tech-On!
中を読んでみると結局ただのVDMマンセーな記事です。困ったものです。VDMといえばフィッツ、だったわけですが、フィッツがぶっ飛んで、いまはCSKで細々と弄繰り回しているだけです。
それについては、ごみため(ー日ー膳!) 配当金自動受取サービスは幻で書きました。
買われるフィッツにとってはただの見せ金だったわけです。金融工学の博士がバリバリと実装仕様を書き下せる米国とは違って、日本では複利計算ができない銀行員が融資係りをこなせる社会なのです。一方プログラマは日本語が読めません。
そんな国でVDMが金融システムになんの貢献が出来るでしょうか。
形式的な仕様記述というのは突き詰めれば、プログラムを書くということと同値です。ただ表現が違うだけです。
抽象化レベルが高くならなければ、結局意味が無いわけです。
喩えていうならば、Cで書いたら分かりにくいのでJavaで書き直してみました、くらいの意味しかありません。
VDMが高い抽象性を備えているでしょうか。私にはそうは思えません。
抽象性が高く、かつ実用性を求めるならば、問題解決のあらゆるレベルの手法は、ドメイン・スペシフィックになります。違いますか?
ナイフとフォークを同じ仕様書で記述できるからといって誰が幸せになりますか?もちろん、ナイフとフォークの製造業者は喜ぶでしょう。その程度のものです。