科学的アプローチという言葉ほど、マユツバなものはありません。
川喜田二郎先生のお言葉を借りるまでも無く、科学=実験科学と思い込んでいる人が大杉で困ります。
「科学イコール実験科学であるという一つの大きな錯覚が、現場の科学の発達を歪曲しているからである」
実験科学では、追試できない実験はクソ認定されるわけですが、現実に技術者が取り組み問題では、追試できない場面がしょっちゅうあります。
モグラタタキサンプル:
バグ発見→原因はよくわからないがXXのパラメータを変更したら直ったぽい→後はヨロシク
直した後で、「先日の修正の効果を確認したいのでいったん元に戻してもいいですか?」などというヤブヘビィなことをやる馬鹿はいないわけです。
「よくわからないが」の部分がどれだけ科学的かでその後の展開が変わります。しかし、
追試した上でないと適用不可
などという意味不明なルールはあまり効果がないことを指摘しておきます。このブログでも何度も繰り返し指摘していますが、実際の稼働状況を100%再現できる試験環境というのはありえません。
それはバグゼロのソフトウェアが実現不可能であることとたぶん根っこが同じでどうしようもないのです。
むだに追試にコストをかけるくらいなら、業者にREかけさせてドキュメントを整備したほうがよほど安上がりです。
追試そのものがもぐら叩きであるということを忘れていませんか?
追試というのがいかにも実験科学的なアプローチなので、ちょっと理系をかじった阿呆なみなさんはレミングスよろしく混乱の沼に自ら飛び込んでいきます。
あれほど追試して問題なかったのに、どうして現場では・・・
それは物事の本質を見ようとしないからです。
この例と比較すれば分かります。
つり橋に使う新材料の強度試験を100回おこなった。
100本の棒をISOで認められた機械で引っ張ってその強度を測定する。
最大値は1平方センチメートル当り2トンだったので安全率2倍をかけて1トンを耐過重としてた。
これはだめな設計の典型例です。理由をちゃんと説明できない人、はたまた、このやり方にどこに問題があるんじゃこのしったかごみため野郎!!と怒り狂っている人は、ブ・ブーです。
これと同じ事を日々みなさんやっておられます。なんともマヌケな話ですが。
(2011.04.07追記)
実験科学の幻想について、経済学における似たような主張をみかけたのでリンクしておきます。
法則科学から臨床科学へ
だから経済のような複雑な現象が、一様な「原子的個人」で成り立っているという仮説はあやしく、それが棄却されると物理学のような法則科学を構築することはできない。むしろ経済学がめざすべきなのは、医学のような臨床科学だろう。