とばっちりの思い出。
音楽の授業は、クラスの児童の私語がひどく、いまでいう学級崩壊状態でした。
女センセイが児童になめられていたんでしょうな。
ある日誰かがセンセイの授業にチャチャを入れ、クラスがドッと笑いに包まれたときに、たまたまセンセイの目に留まってしまった幼き日のごみため少年。
顔を真っ赤にして、『何がそんなに可笑しいの?ごみため!』
私は言葉に困り、一人立たされてバツが悪いので肩をすくめました。「さぁ?」するとセンセイは耳まで真っ赤にして怒鳴りました。
『なんやそれは!
お前はアメリカ人か!!!』
当時のごみため少年は心の中で『肩をすくめるのがアメリカ人ってどんな偏見やねん』と思ったものです。この悲劇的な状況においても、どこか冷めていたのです。
その後、授業をまともに受けない児童たちへの苛立ちを絶叫の形で、なぜかひとり教室の真ん中で立たされた状態の私が延々と浴び続けることに。
ついには、ごみため少年への個人攻撃がはじまります。縦笛がまともに吹けない、合唱の声が小さい。宿題をやらない・・・etc。
最後にしんと静まり返った音楽室で、ひきつった愛想笑いを浮かべながら思ったのです。
こうやって人は、己の自尊心を満足させるために、たまたま目の前にいる誰かを血祭りにあげ生贄にすることもいとわないのだと。
似たような経験は短い学校生活の中で何度もありましたが、多くの場合、職員室や廊下の端で謝罪のような言い訳のようなフォローをあとでしてくれたものです。ですがこの女センセイから一切の説明はありませんでした。
古い記憶はあいまいですが1ヶ月か2ヶ月に1回程度、噴火するセンセイとして誰にも相手にされなくなったことだけは確かです。