ほにゃららリテラシー

まれに耳にして理解に苦しむのが

メールでのやりとりだとなかなか用件が伝わらないんだよなぁ。

そういうときどのように対処しているか訊ねると,

結局電話して直接聞いてみたら,なんということはない用件だったりするだよなぁ。

というようなことらしいです。確かに,文面でのやりとりよりも電話の方が相手の意図がすっきりつかめるような気がします。

しかしですねぇ。我々ジジィは千度万度,←表現が古いな

文書で仕事をしろ。
口頭でのやりとりだけで仕事を絶対に進めるな。
誰が読んでも同じ意味にしか取れないように文章を書け。

などと叩き込まれましたがネェ。

書いてあるものを読むよりも本人から直接話しを聞くほうがすっぽり伝わるのは事実でしょう。しかしそんなことに頼ってちゃぁ困るのです。

情報源が1人で受け取る人が5人いるとしましょう。5人が納得するために情報源の人から5回話しを聞いたらどうなりますか。ウザイですなぁ。でもこれよくみかける光景です。5回くらいならいいじゃないか,そうおっしゃるかもしれません。相手が上役なら仕方がないとあきらめも必要でしょう。

しかしだめなんです。なぜか。5回とも全く同じ話しをすることができないからです。さらに言えばテープレコーダのように全く同じ話しを繰り返したとしても,受ける側の人間が都度入れるツッコミが異なります。ツッコミ場所は人によって異なります。高度に訓練された人々なら似たポイントでツッコムでしょうが,それは状況が許す限りにおいて一致するだけです。例えば話しを聞くための用意した時間の長さによってツッコミ回数自体が増減するでしょう。

そして後になって聞いた側の5人がもめはじめるのです。俺は結論はAだと聞いた。いいや私が聞いたのは結論はBだが途中経過がAだった。なにをおっしゃる,結論は我々に託されていて彼の個人的な意見がAのはずだ・・・南無南無・・・・

伝えなければならない相手が5人くらいの少人数でしたら,とにかく6人で集まって同時に説明するのが良いです。そうするとその場で誤解の半分くらいは解消されます。妥当なラインは半分くらいです。このラインを上げることができるのはその人間の純粋な能力です。

同じ話し手から同時に同じ話しを聞いても,その内容をより多く的確に理解できるかは単純なスキルです。しかしこの単純な能力は著しい差を生み出します。また本人が持っていると思っているほど持っていないのです。例:伝言ゲームを見よ。

簡単な話しですが5人が50人になり全国20拠点に散らばり用件が1日当り10件になれば,全ての話しを聞くことなんてどうせ不可能です。情報源は用件を文書として保存し,受け手は必要な情報を文書から得るのが妥当になってくるでしょう。そして込み入った問題や重要な問題とみなされた用件についてのみ直接説明を求められることになるでしょう。

さて文書化したって,さっきの問題点は解決しません。そうです。同じ文書を50人が読めば50通りの解釈が生まれるはずです。けれどこれは直接説明が必須であるという要求の根拠にはなり得ません。全ての用件についての直接説明が物理的に不可能である場合があることをすでに知ってしまったからです。

結局規模の問題で水平または垂直に切れ目を入れているに過ぎません。水平なら部署間での仕事と責任分担の切り分け。垂直なら「細かいことはオマエに任せて信じてやる」というわけなのです。

もしそうやって仕事を組織化していくのであれば,文書を書く能力,読む能力が求められます。できないならはじめから無理な話です。できない人が仕事を回しているのが実際なのです。

なぜ回るかというとそれは問題発生の密度によるのです。あるいは事後対策なら誰でもできるからです。というのは情報をやり取りして人間様がやるべきこととは,推論やら演繹やらだからです。何か不都合などの問題が生じた後の対応は肩書きさえあれば誰でもできるのです。しかし情報の裏に隠れた情報を取り出すことは人間にしかできないのです。

日々の日報から業務の問題点を突く。市場に隠れた需要を見抜く。大問題に発展しそうな小さな要望を見逃さない・・・などなど。

おそらく冒頭のような状況はそんなだいそれた話ではなく,2,3パーティションを隔てた相手との話しでしょう。そうでなくてもせいぜい2,3離れたフロアの相手の話でしょう?

取るに足らない問題とはそういうことを言うのです。そういうのはメールだからとかFAXだからとか紙の文書だからとかは関係ないです。

安心してください事後対策は誰にでもできますから。

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