インターネットもパソコン通信も無い時代に素人が何かを知ろうと思うと大変でした。
パソコン通信時代でも参加しているBBSの質に左右されたと言えるかも知れません。プロな人は高い利用料でデータベース接続していたりしていたようです。昔NHKなどで山根一真さんの未来話などにシゲキされたことが懐かしいです。最近あまりお姿をお見かけしません。寂しいものです・・・
いやいや年寄りは昔話ばかりでいやになりますね。ゲホゲホ。
書籍は時間を越えて情報をくれます。だから図書館や出版業は重要です。人から直接情報を得る形式として,広い意味での学校があります。あるいは学会,師弟関係,OJT・・・
雑誌や新聞,同好会,同人の集まりなど,公共の情報交換の場は確かにあります。しかしながら全くの見ず知らずの人と情報交換する手段というのは,それはそれはヒンソなものだったのです。
ヒンソな環境で,ある事柄について深く調べて編集しなおしたりする作業には格別の敬意を払いたいと考えています。昔の人はエラかったねぇ,という感じです。この敬意は「昔は日本橋から京都まで行くのに,東海道を歩いたんだよ」『まじで〜』と同じ種類のものだと思います。
ヒンソと書きましたが,無味無臭の情報収集についてヒンソなだけであって,豊かな人間関係を気づくという意味においては,サロンや社交界のように直接的人間関係は別の意味で重要です。ようするに「このオヤジは偉そうで煙たいけれど,やたら詳しいからガマンする」というのもそれはそれで立派なコミュニケーション能力です。
で最近ちょっとした「知りたいこと」をググって検索し,『ウソをウソと見抜く目』で真実らしいものを見つけたとして,それは「調べたことになる」のか「タダ単に検索しただけ」なのかでモヤモヤすることがあります。
妄想チックに考えると,そうやって調べたつもりで検索した結果をブログやHPにメモとして残してインターネット上に公開しておく,という作業を繰り返していると,グーグルさんの毛虫ロボットの尻からひねり出された細い糸をツムんで人間好みに張りなおす,ただの蜘蛛エージェントの気分になってくるのです。そしてまたその蜘蛛の糸をグーグルさんの毛虫が辿ってそのケツから新たな何かがひねり出される。と。
計算機のお化け的なラプラスの魔みたいなものの出現を信じて疑わない白だか赤だかの布を頭からかぶったような怪しげなどっかの団体の活動に,みみっちく加担しているだけとちゃうんか,そんな気がしたりするのです。
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