昔、ゲイツ家のビルを悪魔視するのが流行したことがあります。
悪魔の数字666と結びつけたりとか。
大儲けすると、根拠なく恨まれるのかもしれません。
西の洋には、救世主と悪魔は見た目がそっくりとか、いろいろ土着の伝承があるようです。
実際には、「だれも救世主や悪魔の顔を見たこと無いのだから、(豊作の幸いや、天変地異の災害のようなものが)地上に現れても、見分けることはおろか、気づきもしない」という教訓なのだと思います。
ごみためはcopilotがなかなか一般公開されないのですっかり出遅れてしまったわけですが、自動プログラミングについてはいろいろ考えるところがあり、たとえば以下の3点セットがそろえば、もう廃業かな?と思っていました。
- 自動化テストを書くのが当たり前
- CI/DIが当たり前
- コンテナ技術がタダ同然
ただ、上記が普及しても一向に人の手が減らないので内心、首を傾げつつ、日々無駄な作業にいそしんで居ったわけです。
Copilotセンパイがやっているのは、まさに上記を洗練しているだけのことです。
上記は(ごみための赤恥定義の)モンキーですが、それを洗練したら、拍手喝采なわけです。
実際、ごみため自身もモンキーにくらべて胸を張れるほどの技術的、知識的なバックボーンを持っているわけではないのです。計算機科学の学位すらもっていない元電気屋ですから。
平均以上のエンジニャーを超える洗練さだった場合、その登場は天災クラスの災難でしかありません。
そこで、いまはパンピーから、普通のエンジニャー、計算機科学のオーソリティまでが、喧々諤々、地上に降臨しつつある「何か」について、福音なのか、破滅の兆星なのか、見極めようとしているわけですね。
ですが思い出してください。救世主とアクマの見た目はそっくりで、誰も会ったことがないのですから、見分けることはできないのです。
そんな様子をみごとに映像化しているのが、映画パラダイム(原題: Prince of Darkness)です。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm4745642
もしかしたらある面では幸いであり、別の面では苦しみなのかもしれません。あるいは、一時的な苦しみの後の約束された涅槃の入り口なのかもしれません。
「おのれ、パラダイム言いたいだけやないか~」という自己暗示とともに、カーペンターつながりのせつない曲と共に、エンツリは終了です。